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中学校に入ってから不登校になった生徒。原因は落ち着きがなく、授業中に席を離れて先生の注意も聞こえない状態であったため。周囲に迷惑をかけているとの自覚が全く無く、本人にとってはごく普通であるとの意識であった。
中学校の教科書も満足に読むことができない、漢字も十分に読み書きできない状態のまま卒業。
全日制高校では無理があるとの相談を保護者から受けた。
面接の際、本人は落ち着きのない自分を自覚していた。しかし、自分では直すことのできない精神状態にあると訴えてきた。
自らの状態を十分自覚した上で、「どうしても高校を卒業したい」という強い希望が私達には痛いほど伝わってきた。
入学後は、中学校内容の復習授業から始めることにした。入学当初は、常に無表情で何も話さずに帰る日々が続いた。
ただ、時間通りに毎日通学してきたことで、勉強以外の話題についての語りかけは絶えず行ってきた。その結果・・・
常に語りかけてきたことや学院主催のスポーツ活動を通じて徐々に顔色は良くなり、笑顔が日を増すごとに見られるようになった。通信制高校のスクーリングが近づくにつれ、本人の不安はピークに達し、参加したくないと申し出てきた。
無理強いは良くないと思っていたが、この生徒に自信を持たせるためにはどうしてもキッカケが必要であると判断し、思い切って参加させることにした。一時はどうなることかと不安であったが、本人にとって非常に新鮮に感じられたようだった。
スクーリング後には友達もでき、自らはなしかけるようになり、学院の中でも一番の話し好きへと変化していた。
スクーリングをキッカケとして学習意欲も高まり、現在では大学受験を希望するまでとなっている。 -


中学校では勉強ができず、自分は何をやってもダメだと思い込んでしまっていた。
また、高校受験ではすべての入学試験に失敗し、自暴自棄に陥っていた。
「勉強ができないから高校への進学は無理なのか」、そんな思いが本人の頭を支配し、あらゆる面で自信を無くしていた。どこにも行くところが無い。半ば諦めかけていた時、明聖館高等学院のことを学校の先生から聞いた。
だめでもいいから受けてみようと、本学院の面接・作文を受けた。
全ての面で無気力状態に陥っているのかと思っていたが、本人の目は輝いていた。
「やれるか?」との問いかけに対し、「やってみる」という勢いのある返事が返ってきた。勉強ができず、全てのことに嫌気がさしていた。
自他共に不安の中、入学後すぐにレポート学習を始めた。すると・・・
本人は周囲が驚くほどの集中力を発揮し、各科目のレポートを次々と満点合格させていった。
中学のころあれほど苦手としていた勉強に一生懸命取り組んでゆく。レポートに取り組んでいる際、隣の席で励ましながら、支えながら語りかけてゆく。一つのレポートを仕上げたら、ポンと肩をたたき、「また満点か!すごいな!」とほめる。
本人を認めてあげること。これがいかに大切かを如実に物語っている。
中学時代、高校入試と周囲の大人は否定的な言葉を投げかけていた事実は後に知ったことである。
学校の先生から問題児として避けられていた、つらい1年間を経験したがゆえに、本人を認め、自信をつけさせる言葉こそが、自分に希望を見出し勇気を与えることができたのだろう。 -


高校を中退してしまった生徒。原因はいじめであった。
そのため、対人恐怖症となり1人で外へ出ることができなくなった。
引きこもりが長期間続き、家庭は火が消えたように真っ暗な状況であった。どうしてこんなことになってしまったのか。憤りを感じながらも何もできずただ時だけが過ぎてゆく。
このままではいけない。そう思った両親が明聖館高等学院を訪ねてきた。
本人が入学の説明を聞きに来た際も、同伴していた親の影に隠れ、顔を上げることはなかった。
こちらからの問いかけに対しても細々とした声で応答するといった具合であった。入学後は親の送り迎えがないと通えない状態で、しばらくは家族が交代で送り迎えをしていた。
始めのうちはしゃべることもなく、終始無言の毎日が続いた。
引きこもっていたせいで、顔も青白く、体の線も細く、見ているだけで倒れそうな感じがした。
何とかしなければと思っていたところ・・・
ある日、あまりにも顔色が悪いので教師が外へ行こうと誘った。本人は渋っていたが、半ば強引に連れ出し、紫雲山の車道を下から徒歩で登って行くことにした。
途中でくじけそうになったが、休み休み励ましながら、とうとう山頂までたどり着くことができた。その時、本人の満足した表情は今までに見たことが無いと、教師が驚くほど明るくさわやかであった。
このことがキッカケとなり、以前とは見違えるほど明るくなり、授業中にも自分から積極的に質問するようになった。
学習面でも確実に成果を挙げるようになり、将来の進路について考え始めるようになった。
この生徒は卒業し、現在は大学にて楽しいキャンパスライフを満喫している。 -


公立高校を3年次の春に中退し、1年間様々なアルバイトを経験していた。
しかし、長続きせず次々とアルバイト先を変えていた。飽きっぽい性格であり、一つのことに集中することができず将来について漠然とした不安を抱えたまま毎日を過ごしていた。新聞に掲載されていた学院の紹介記事を読んだ母親と共に、説明会に参加した。
高校だけは何とか卒業させてやりたいとの母親の気持ちをよそに、本人にその気は見られなかった。
説明会参加後、2ヶ月余りが過ぎ、彼のことが気になっていた1人の職員が、入学手続締切日を1週間後に控えたある日、自宅へ電話をかけた。本人と話すことができ、「残り1年間の勉強を一緒に頑張ってみないか」と訴えかけた。
翌日、本人から「やってみたい」との返事があり、早急に入学手続を取ることとなった。真面目に勉強することに対して抵抗感があり、高校卒業の必要性、意味についての意識は低かった。
中退した生徒に見られがちな傾向である。しかし・・・
入学後しばらくは、授業終了後に両親の思いを分かりやすい言葉を選びながら語りかけた。
高校を卒業することの意味と、その後に広がる可能性を理解してほしかった。
対話を続けることで徐々に意識が変わり始め、自らレポートに取り組むようになった。
レポートの進み具合が順調なことを褒めると、照れくさそうに笑顔を見せることもあった。
スクーリングが終了し、卒業後の進路を考え始めるころには、両親の思いを受け専門学校への進学を希望するようになった。
コンピュータに興味があったため、情報処理学科のある専門学校へと進学し、現在はプログラミング、ホームページ作成の技術を学んでいる。 -


高校を中退。理由は髪を染めたまま登校し続け、校則違反を繰り返し、通学できなくなり退学。学校嫌い、先生嫌いとなり、高校を卒業しようという気持ちが徐々に無くなっていった。
本学院の入学説明のとき、本人の印象は、素直で明るい子であった。
反面、嫌なことは避けたいという、性格の弱さも彼女は承知していた。
髪の色に対しては、一概に否定はせず、強制的に直させることは良くないと判断した。
髪を染めるという行為に対し、彼女の主張をゆっくりと聞くことにした。
「髪の色だけで判断しないでほしい」、外見だけで判断されてきた彼女の訴えが伝わってきた。
彼女の主張を尊重し、入学後は目標を持たせることで前向きな姿勢を作り出すことを念頭に置いた指導を中心とした。学習姿勢はよく、課題レポートの作成については、問題は無かった。
ただ、将来の進路について漠然としたイメージしかなかった。彼女の思いをもっと引き出し、夢を持たせたい。
勉強以外の会話を継続した結果・・・
日々の些細なことでも会話を継続し、悩みがあればアドヴァイスし、励ましてゆくことで、少しずつではあるが卒業後の進路が見え始めた。彼女とともにわたしたち教師も考え、悩み、模索するといった行為を繰り返すことにより、ついに彼女は目標ができた。そして彼女はその目標に向かって自ら前進してゆく。
彼女は見違えるほど学習意欲が増し、レポート作成スピードも速くなっていった。
情報処理学習の後、居残りでパソコンと睨めっこしながら、目標に関連した情報を調べる姿が印象に残る。
そして現在。彼女は専門学校で自分の将来を見つめながら一層の勉学に励んでいる。 -


高校を中途退学。定時制へと進路変更するが、毎日通学することが苦痛となっていた。
自分の意見を素直に表現する余り、周囲との軋轢が絶えなかった。
生活リズムも乱れ、昼夜逆転の生活が続いていた。通常より卒業が1年遅れてでも高校は卒業したいとの強い希望が、本人と保護者からあった。

今までの自分を反省し、高校卒業に向かって頑張りたいとの思いは学院生の中でも特に強く、朝10時からの授業にもほとんど遅れることなく通学してきた。学習能力的には大変いいものを持っており、課題レポートはどんどんこなすことができた。
ただ、継続した学習が困難であり、日によって学習量にはムラもあった。非常に明るく、物事を前向きに捉えることのできる生徒であり、他の生徒をグイグイと引っ張ってゆける、クラスの委員長的な雰囲気を持つ生徒へ成長していった。ある日の授業終了後の友達との会話では・・・

「まじめにやっていれば、いいことがあるんだよ。」
彼女のふとしたこの言葉に職員は驚きを感じながらも、入学当初より著しく成長していることに喜びを感じた。
1年次、2年次で非常に優秀な成績を修めていたことが、本人にとって大きな自信となっていたようだ。
生活リズムも徐々に戻り、新入学生徒が悩んでいる様子があれば親身に相談に乗るなど、模範的な生徒である。
卒業後の進学先として、短期大学を志望しており、3年次には本格的な受験指導を行う予定である。 -


中学卒業後、しばらくは自宅で過ごす日々が続いていた。
中学校時代にはほとんど登校できず、母親の同伴が無ければ外出できないことが多かった。
体が細く、体力的にも全日制高校への通学は困難であった。中学を卒業して半年後、高校に行きたいとの本人の希望により、学院の面接・作文を受験した。
その際にも常に母親の顔色をうかがい、こちらからの問いかけに答えることも 少なかった。
入学後、2~3ヶ月は通学できない日々が続いた。登校できたときにもやはり母親が付き添い、教室内から母親の姿が確認できなければ不安で勉強が手につかない状態であった。
早く母親離れし、1人で登校できるようになるためには気持ちの通じる友達が必要であると判断した。
他の女生徒にも事情を話し、積極的に声を掛けることで、本人の意識を母親から離すような指導を心がけることにした。秋の遠足で遊園地に行くことになった。集合場所の駅に彼女は1人で現れた。
そこには母親の姿は無く、友達になった生徒と電車に乗る時間を待ち合わせていた。遊園地に着いた彼女は・・・
引率職員が驚くほど、明るく元気に様々なアトラクションを楽しむ彼女がそこにいた。
母親の話では、小学校まではクラスでも活発な生徒であり、一輪車で小学校まで通ったことさえあったという。
気持ちの通い合える友達ができることの重要性を改めて考えさせられた。
やせ気味であった体も今では元に戻り、授業終了後には時間の過ぎるのを忘れるほど職員との話に夢中になる彼女は、入学当初には考えられなかったことである。
学院在学中にできるだけ多くの資格を取りたいとの希望により、漢字検定・英語検定をはじめ、色彩検定や調理師資格にもチャレンジしており、自から学ぼうとする姿は頼もしくさえある。 -


高校生活に期待を膨らませていたが、高校で初めて出会う生徒との友人関係をうまく築くことができず、1年次の秋に中退。
中退後は何をするでもなく、無気力な状態の毎日を過ごしていた。父親の仕事を手伝ううちに、再度高校へ行きたいとの思いが強くなり、当初は公立の定時制・通信制を検討していたが、学力面での不安と、毎日登校できるのかとの不安が残り、本学院のサポートを受けながら高校卒業を目指すスタイルを選択した。

面接時から彼女の持ち前の明るさがこちらに伝わってきた。
幼いころから歌を歌うのが好きで、小学校・中学校の音楽会では人一倍張り切っていたそうだ。
しかし、人一倍の寂しがり屋でもあり、常に周囲に誰かいないと不安であると正直に話してくれた。彼女の明るさがあれば、楽しく学院生活を送ることはできるであろう。
ただ、学習面については、長期間勉強することから離れていたので、彼女のペースを重視し、決してあせることのないよう、他の生徒よりもゆるやかなカリキュラムを組むことにした。そして現在では・・・
最初は30分も集中が続かなかった。それが1時間になった。そして今では3時間近くレポートに取り組めるようになった。
常に側で励まし本人にとって自信となる言葉を掛けてゆく。知らず知らずのうちに授業は終了し、「今日はこんなに進んだんだね」と自分の仕上げたレポートの多さに驚き、喜びで自慢の歌を披露する。
親兄弟、友達にも相談できないことでも私達には話すことができると言ってくれることもあり、卒業までに、また、卒業後にも様々な話が彼女とできることを私達も楽しみにしている。



